玲子の部屋

初めまして。玲子の部屋にようこそ。プロフィールをポチッと押してくれたと思いますが、プロフィールなどかっこいい肩書きはないので私の事を物語風にしてみました。気ままに気が向くところまで読んでみてください。

東京新宿生まれ。2歳で両親離婚。東京都下の実家のお寺の祖父の元へ。

神社の森の麓の竹林の中の小さなお寺です。
今でも大きなイチョウの木がそびえ立っているでしょう。
母の作った衣を纏い、山の恵みを頂き山を駆け回り
祖父と野菜を育て幼少期を過ごします。

小学校一年生の時に母からプレゼントされた機織り機に夢中になります。

私と布との最初の出会い

解いては機織り、糸に余裕があれば織り続けるを繰り返し飽きたら山で過ごす幼少期はすぎ、学生期は漠然と過ぎゆくのです。

共同生活、学校生活が苦手な私はなんとか学校生活を終え、生きていく為の生業は何にするかを心の片隅に置いてしばし放浪。

誰もが通る道ですな。

そして青年期の始まりです。

常緑亜熱帯気候の先島諸島で暮らしている時に芭蕉布と草木染めに出会います。

水牛も愛しい。

目に映るもの手に触れるもの全てが美しい。

私と布と2度目の出会い。

いつかこのような場所で暮らすための技を探すため、さてさてどうしたものかと実家に帰って見たところ実家のお寺の後継問題。出来るなら竹林と森を我が手中に納めたいと初めての野望でしたが、即却下。

根無草に土地が守れるかとのお考え。ごもっともです。

そして近い未来寺に住めなくなると現実問題が出てきました。後継者がいなければ寺は個人のものではないので出ていかねばならぬが掟です。

心の片隅に置いてある題目『生きて行く為の生業』の他に『自分の生きていく場所』も心の棚の上に。

16歳からヨーガに出会っていたこともあり、渡印。

当時は第二次ヨーガブーム。

密教的ヨーガと宗教団体的ヨガが入り混じり当時東京でヨガはしづらい環境でした。渡印は正解でした。インドでの生活はヨーガアシュラムではなくヒンドゥーアシュラムでお世話になります。

肌触りの良いインド綿を纏い、朝夕讃美歌を詠い時にマントラを唱えヨガの実践に取り組む日びは心平に時が過ぎゆくのです。日に一度のカレーを僧に仕込まれ、1日に十数回は飲むであろうチャイの作り方にも慣れて来る頃、ふと幼少期を思い出します。

棚に上げておいた題目を思い返してみたところどうやら場所は違えど探し物は遠くに行かずともあるらしいことに気づき帰国します。

1年の半分は東京都内でヨーガ講師とマッサージ整体業を糧とし1年の半分は諸外国を回りヨーガ、マッサージの修行、技術習得に励みながらいつか芽は出ると信じて自分の中に小さな種を集めていきます。

趣味でアフリカンダンスやベリーダンスをしていた為各国民族衣装の虜になり布集めやアジアの機織り産地など遊び心も忘れない20代。

30歳祖父他界。初めて家族との決別。最後のお寺生活の為短い期間実家に戻る。

祖父の箪笥から大事に大事にしまってある早くに亡くなってしまった祖母の着物。『玲子大きくなったら着ていいよ』の言葉を思い出し日本の民族衣装に触れ着物を着る生活を始めます。

20代後半は第3次ヨーガブーム。

密教というよりアンチエイジングやストレッチの要素も強く、ハリウッドからセレブヨーガなるものも登場。時代の流れを感じます。

寺はもう無い。寺は心の故郷。

先島諸島で触れた心に残る風景に日常を戻したくなる。

大地に根付く生活を夢見る。

そして我にカエル。

『どこに住み生業はなんとするか』の原点に立ち戻る。

どこに住み。。。諸外国を回り感じ、でた答えは日本の四季を愛している事でした。そしてどこにいようとその土地の問屋街にまず出かけ布と糸など買い込み部屋に篭っては何かを作り朝の市場にいっては現地の女子にご飯の作り方を聞き出しどこでも自炊。私は根っからのインドア派。おうち大好き人間なのです。20代前半同様灯台もと暗しです。

空が広く緑が美しく人口が多すぎない場所で

ヨーガを生業とし機織りをして畑で野菜を育て、

自分で作れるものは自分で。

シンプルに心の満足を求めたい。

出来るなら家から直径1キロで全てをすませたいという心の叫び。

自給自足とはなんぞや。。。と。

さて、灯台下暗しと言いつつまた日本各国機織り産地綿産地など歩いてまわります。ある時新潟越後で機織りをしている時に瓶覗に染まった越後上布の着物に出会いました。涙の止まらぬ着物、美しかったです。

布との3度目の出会い。

ここで私は布に惹かれ続けている人生と向き合う覚悟をします。しかし新潟はほっぺが凍りそうにて雪晒し断念。東京育ちもやしもんです。

南下しさらに歩き回り毎年熊野詣でなる一人歩きや、誕生月の神無月には出雲を歩き神さまミーティングを覗きに行ったり、遊び心も忘れない30代。

女の独り身、こんな田舎に何の用じゃと怪しまれる土地も多々。

村のモンと結婚せぇと無茶振りして来る土地も多々。

もうしばし歩いて歩いて30代後半、

麻織物が現存している緑もこもこ奈良県に住処を決める。

奈良の深部の方の村長さん曰く、独り身は信用が薄い。まずは街中に住んで信用を固めてこいとのお達しでした。鹿さんと戯れながらヨガに励みヨガを糧とし機織りをし、野菜を育てます。ようやくスタートラインに立った瞬間でした。学生時代の最後、恩師に『寄り道してもゴールはゴール。もう少し早く歩こうね』と言われた言葉を思い出し長年思い描いていた生活にたどり着きます。

ここから始まるのです。

やるべきやりたい事を進めて生活している奈良生活。

根を伸ばして行こうとしている新しい挑戦は何歳になっても胸が高鳴ります。そして富士山で出会った山羊のような髭を持つカブ友達が生活に現れます。彼は銀閣寺近くの小さな山の樹齢100年の紅葉の大木にハックルベリーのような木のお家に住んでいました。時折ハンターカブに乗って奈良に訪れてきました。

私が横になって漫画ナイトをしていると彼も横で漫画ナイト。

私が一升瓶を抱えて酒を呑んでると彼も一升瓶を抱えて目を33にして泥酔。

幼少期から夫婦というものを見たことのない私がまさかの結婚です。世の中に一緒に暮らせる他人がいる事を初めて知った人でした。そして2人の子供を授かります。もともと血が薄く少ないせいか、お肉もお魚も20年以上食べていないせいか高齢出産だからか産後の肥立ちは悪く、三つ子の魂なんとやら、期間限定思い切って専業主婦させてもらいます。

山から降りず、紅葉に包まれ京の街を見下ろし野花を積んで家庭菜園しながら数年すぎゆきます。見目は子育てすったもんだでしたが人生ベスト5に入る心穏やかな時間を彼がくれました。

西の都、京の街は大変造詣が深く歩けばそこかしこ京文化に触れることができました。専業主婦ともおさらばと山から降りてみたものの、人、車、情報、物の多さにはついてゆけず大都会でのヨーガ復活はエネルギーが足りず、布への道を歩く為京都では和裁の勉強、西陣で手縫いで帯を作り新たな業界に潜り込みつつ妄想をしていました。

昔そこかしこで言われた女の独り身じゃ田舎に越せないよの言葉を。

衣食住の衣と食はずっと育ててる。彼は住を育ててる。

家族がいるなら1人ではいけなかった土地に行けるのでは?と。

というわけで彼は働きながら戦力外の3人を連れ歩き土地探しを始め甲斐あって淡路島に越してきました。淡路島では3年目が始まろうとしています。海に恵まれ三反の畑を借りて空を見ながら新しいことが始まろうとしています。

自宅でマッサージ屋さんも予約制でしています。もちろんヨーガも取り入れて。

布も扱っています。

野菜の販売もしています。

彼は京都の他にここにもう一軒の宿を作ろうとしています。

2人で小麦農家もしたい今日この頃です。

青き衣まといて金色の野に降り立つ予定です。青き衣製作中です。

楽しい事をやりたいようにやるのはうまくいかない時もあります。人は1人で生きていけないことも知りました。これまでずいぶんいろんな方に助けてもらいました。老年期はすぐそこです。

『この道より我を生かす

道なきこの道を歩く』

いろんなシャボン玉がふけるおばあちゃんになれますように。

いつか私も誰かの支えとなれますように。

私の掌で皆様のささやかな日常に彩りを添えることができますように。

                      たまゆら     

                      山本 玲子